技術系食欲爆発人類の神経回路

技術的なことから日常生活のことまで色々

学生生活の終わり

さようなら,桜の町,

こんにちは.さとぴです.
今日は学生生活の終わりということでこの6年間の振り返りでもしてみようと思います.

特に進路希望もなく,勉強も嫌いだったので,勉強をしなくても受かりそうなところをいくつか受けた大学受験."フォトショみたいなペイント ツールを作ってみたい"という理由だけで,情報工学の道を選んだ.

春.まさか大学まで片道1時間半もかかるとは知らなんだ.ちゃんと選べばよかった.
同じ教室に集められたチー牛(自身を含む)の塊に,「あーね.」となったのをよく憶えている.
初めて自分のPCというものを手にした.
なにもわからない.
授業を聞いてもよくわからない.プログラミング?なにそれ?数学?わかんねー.僕の数学の偏差値知ってる?30台だよ.
学科の人と話しても面白くない.ポケモンはわからないし,進撃の巨人はわからない.オタク趣味を履修しておけばよかった.

なんとなく大学に通う中で,最高の居場所は早急に決まった.
部室.放送研究会の部室だった.
放送研究会では,映像や音声の作品を製作したり,イベントのMCをしたり,そんなことをしているらしい.
意味もなく声を出すことが好きだった僕(は?)にとって,演技ができる部は絶好のステージ.
爆速で入部を決めた.
一方で,中学以来の運動部に入ろうと思ったので,ソフトテニス部にも入った.
こちらは酒の場が鬱陶しすぎて,夏前には辞めた.

放送研究会の先輩は皆優しく,僕は初めて,自分の家族のような人たちに出会えた.
この先の学部生活,僕はほとんどの時間をこの部室で過ごすことになる.
先輩や同期と作る楽しい作品,部会後のご飯,部室でのダラダラとした時間.全てが楽しい.

楽しく生活しているうちに,1年が過ぎた.
大学からメールが届く.
「お前は成績トップだよ.お金あげる」
やっぱり大学間違えたかな.僕はただ遊んでただけなのに.こんなところで学んでいて大丈夫だろうか.
僕は自らの実績に驕ることすらなく,純粋な不安に苛まれた.

2年目の春が来た.
後輩ができた.
死ぬほど遊んだ.
勉強のことなど忘れて.
ようやくアルバイトを始めた.中華料理レストランのホールで歩き回ることにした.まかないがうまい.

夏になり,ようやくその先を考え始めた.
来年には研究室配属がある.今のうちに目標を定めておかねば.
画像工学をやりたい.という大まかな気の向きようはあったので,その方面の研究室を訪ねた.
そのひとつが,いわゆるAIのような研究をしている研究室.
僕が惹かれたのは,GAN (generative adversarial networks)だった.
簡単に言えば,指定したドメインの画像を自動で生成してくれるもの.
これをやろう.そう決めた.
そして,機械学習の勉強を始めた,

特に大きな事件もなく,3年生になった.
いよいよ研究室配属である.
相変わらずの成績を残していた僕は,余裕で希望の研究室に配属が決まった.それはそう.
配属1年目は,基礎力を鍛えるためのサーバ構築や画像工学の勉強.
英語で書かれた画像工学の本は,数百ページもある怪物だった.
そして近づく,放送研究会引退の時.
弊部では,11月に学祭で催される作品発表会をもって,3年生は引退する.
夏頃から意識し始めたのは,引退作品のことだった.
僕が残すことにしたのは,ドラマ作品.
他ジャンルの作品を制作する部であったが,同期の中でドラマ作品を作ったことのある人間が僕しかいなかった.
先輩から受け継いだ技術を後輩に伝えるには,これが最上の一手であるはずだ.
脚本のアウトラインを数本用意し,その中から決めることにした.
僕が最後の作品発表会でやりたいこと.
・引退作品を残すこと
・最後の発表会MCをやること
・後輩と生ラジオをやること

そうこうしているうちに,他の同期からいくつかの作品制作のお願いが飛んできた.
「短編コメディの脚本を用意するので,残りの制作を任せたい」
「ドラマの脚本を用意したので,残りの制作を任せたい」
おまえら......となった.流石に1ヶ月でこの量のタスクはこなせないでしょうよ......

まあしかし,これが本当に最後のチャンスだ.
快く引き受けさせてもらった.
まだ完成していない脚本が1本. 撮影・編集しなければならない作品が3本.
台本や衣装を用意しなければならないMC.
打ち合わせをし,台本とスライドを用意しなければならない生ラジオ.

まずはスケジューリング.
学科も学年もバラバラなメンバーの時間割を把握し,タイミングが合うわずかな時間でも活用しなければ終わらない.
同期の作品も,彼らにとっては引退作品.できる限り希望を聞き,撮影計画を練った.
実際に最初の撮影に取り掛かったのは,引退3週間前のことだった.
そして,この時点でもまだ僕の脚本は完成していなかった.
ロケ地を転々とするため,一度に撮影できるシーン数は限られる.
後輩の家,大学構内,自然豊かな公園.
カメラを扱ったことのない後輩を指導しながら,撮影技術を継承させる.
シーンを取り終え,メンバーが解散したら即座に編集.
そんな日々が続いた.

最初に完成したのは,数分程度の短編コメディ.
シーンを繋ぎ合わせ,それなりのSEをつけて整えた.
僕の一存で,何気ないシーンを勝手に面白おかしく編集したのがポイントだ.

いよいよ僕の引退作品の撮影が始まる.
幾本ものプロットを用意したにもかかわらず,最終的に選んだのは,まったく新しく書き上げたぶっつけストーリーだった.
この時の僕は,パーカーにスウェットパンツそしてビーサン,このスタイルが定着していた.
なるべくラフな格好で,いつでもロケに行ける,どこでも編集できる.
寝る暇も惜しんで,必死で生活していた,時はビュンビュンと過ぎる.
締め切り数日前,まだ半分も撮影できていない.
そして事件が起きた.
台風の季節.天候は容赦してくれない.
次のシーンは晴れた屋外で撮らなければならない.そうしなければ,前後の撮影分と整合性がとれなくなってしまう.
僕は決めた.全て撮り直そう.
急ぎ脚本を変更した.
スケジュールを無理やり詰めて,全て撮り直した.
授業をサボって撮影に参加してくれる後輩もいた.
そして,全シーンの撮影が終わる前に,締め切りが過ぎた.
締め切りなんてあってないようなもの.発表当日に間に合えばいいのさ.
家に帰る時間も惜しいので,大学近くにある同期の家に連日泊まらせてもらった.ただし,うんこは歩いて10分の距離にあるセブンイレブンでしろと言われた.便意 vs 僕 の戦いは忘れない.
同期脚本のドラマが完成した.レンダリング中に仮眠をとる.

いよいよ学祭前日.リハが始まる.
大変だ.生ラジオもMCも用意できていない.
学祭は三日間.1日目に生ラジオ.2日目にMC.そして3日目に引退作品を流す.
後輩を呼びつけ,爆速で打ち合わせをする.
大まかな流れだけを決定し,あとはぶっつけ本番でいくことにした.
20分尺で終わらせればいいだけだ.
MCの打ち合わせをしなければ.
これが意外と時間のかかる作業なのだ.
テーマに沿った台本を作らねばならない.
一緒にやる後輩は,今回が初のMCだ.
これまでに誰よりも多くMCをやってきた僕が引っ張らなければ.
重要ポイントを押さえつつ,一通りの台本が完成した.
申し訳ないが,練習はギリギリまで待ってもらうことにした.

学祭1日目
後輩との最後の生ラジオだ.
二人して寝ぼけ眼.
それでも思う存分話した.
結びに,「これが僕にとって最後の生ラジオです」と挨拶をして締め括る.
会場は暗転し,バックから退室する.
扉が閉まる前に,声をあげて泣いてしまった.
全力で生きてきた最高の居場所を,僕はまもなく離れることになるのだ.
終わっていく一つひとつが寂しいことに気づいた.
21年生きてきて,家族以外の人前で泣いたのは,これが初めてのことだった.

1日目終了後,気を取り直して,翌日のMCに備えて練習をする.
素直な後輩のおかげで,明日は安心だと確信した.
そして2日目,MCを無事にやり遂げた.
あとは,あれを完成させるだけだ.
最後の徹夜.朝を迎えて,ようやく完成した.
最終日くらいはと,会場後方で仲間の作品を見守る.
幸せなことだ.
最終作品,ついに僕の引退作品が流れる.

人生の路頭に迷う一人の法律学生.
帰り道で陽気な金持ちホームレスと出会い,彼らは次第に心を通わせていく.
ホームレスと定期的に接触する一人の女性.手渡される音楽プレイヤー.
彼の正体は一体何者なのか.
それを知る時,私たちは人生の意味を失う.

『お前らの思春期をぶち壊す』

僕が作ったのは,未来の自分に向けて,見る度に異なるメッセージを送るための作品だった.
誰にもわからないこだわりと自己満足を詰め込んだ,難解なパズル.
全てを理解できた視聴者は存在しないだろう.
それでも,感想シートは賞賛の言葉で埋め尽くされていた.初めてのことだった.

全てが終わり,恒例の引退式ではボロ泣きし,夜通し飲み,僕はこの部から巣立った.

もうお分かりだろうが,僕の学生生活において,その質量のほとんどは,ここまでの時期に詰まっている.

次なる僕の居場所は,研究室だ.
本格的に研究生活が始まる直前,3年生の春休みには,アイルランドに語学留学した.
ここでの生活が僕の中にアクティブさを生み出した.
見知らぬ地での挑戦の連続が僕を変えてくれた.
帰国した時には,人と話すことも,それを英語で行うことも,何も怖くなくなっていた.

帰国から数日が経ち,僕の一人旅生活が始まった.
好きなバンドのライブに狂ったように参戦し続け,ツアーでは全国を飛び回った.
それまで避けていた一人旅が面白くてたまらない.僕はどこへも行ける.

年間50本以上のライブラッシュを終え,学部生活もラストスパート.
無事に卒論を書き終え,国内学会での発表も経験した.
学部を首席で卒業し,工学の学士号を手に入れた.

2019年4月,大学院に進学.
そしてついに,ずっとやりたかったGANの研究を始めた.
この話はまたどこかでしよう.

夏には,ITコンサルティング企業でAIエンジニアとしてのアルバイトを始めた.

少し時は経ち,9月のこと.
アイルランド留学中にであったスペイン人が,日本に遊びに来ていた.
僕は,彼の滞在2週間めに再会を果たすことができた.
東京タワーやその周辺を観光し,次の行き先を考えた.
都内の有名どころはほぼ生き尽くしたらしい.うーむどうしたものか.
外国人向けの観光スポットを検索していると,ふと目に止まったのは,あそこだった.

"Do you know maid cafe???"

僕も訪れたことはなかったが,秋葉原メイドカフェに行ってみることになった.
非日常の空間を楽しむスペイン人.
連れてきてよかった......

一日遊び尽くして,僕らは別れた.
今度は僕がスペインに行くよ.そう誓って.

そして,僕はメイドカフェにハマった.

研究室とお屋敷を行き来する日々.
2度めの国内学会では学生奨励賞を獲得. 気づけば修士課程1年めが終わっていた.
と同時に,お屋敷は閉鎖された.
こゔぃっどないんてぃーん君のために.

2ヶ月の自粛期間にはようやく就活を始め,無事,第1希望の企業に内定した.どこにも落とされることなく,なんとも平和に終了した就活であった.

その頃には,お屋敷の扉が再び開かれていた.
お屋敷生活が再開する.
それからいくつかの事件が起きるが,読者の皆さんにはもはや語るまでもなかろう.

9月にはかぐやが帰ってきた.
10月にはうさみが帰ってきた.
この2人に再開することは不可能だと諦めていた僕にとって,最高の朗報であった.

その一方で,僕の心は死んでいた.

突然書くことになった国際学会向けの論文.
入社に必要な簿記試験.
バイト先での急務. 突然悪化した謎の体調不良.

タスクとストレスに押しつぶされ,初めて命を絶つことを本気で考えた.

あまり思い返したくない日々だが,この期間を支えてくれた,かぐや,うさみをはじめとするメイドのみんな,そして竹組のみんなには50世代分の感謝をしている.

おかげさまで,試験は合格,修論を書き上げ,論文も完成し国際会議での発表をやり遂げた.

拒否し続けていたメンタルクリニックにもようやく足を運ぶことができ,今では徐々に心が元気になり始めている.

遊んだり遊んだり遊んだりしながらも,なんだかんだでよくやったなぁ.

この記事長くね!?
これでもだいぶ端折ったんだけど,無限の文字が羅列されてしまった.
画像とかなくてすまんな.年度内に書き終えたかったので.

そんなわけで,まもなくです!
僕の学生生活が終わるよ!
ばいばい👋